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学校文化の行方 [教育雑感]

ここにきて9月入学の案が浮上している。
9月入学論者にとってはこのコロナ禍の波にのって推し進めていこうというのが見える。
9月入学もきっとあるんだろうと思うけど、現場からすると疑問だらけ。

4月から8月まではどういう扱いになるんだろう・・・。
今年度の1年生が繰り上げで増えるのだろう・・・。
学校行事はどうなるんだろう・・・。
真夏の暑い中、卒業式が行われ、入学式が行われ、季節感が全くなくなる。


今後の予定さえはっきり分からず、結局そこから現場が降りまわされるという感じなのに、これで9月スタートとかになったら混乱の極み。


地域によっては子どもとほとんど関われていないところもあるみたいだから、9月から仕切り直したいという気持ちも分かるんだけど・・・。

ネットの掲示板や世論では賛成意見が多いんだけど、現実的に9月仕切り直しって厳しいんじゃないかなぁ。
9月になってコロナが収束するかも分からない。



Facebookで7日間ブックカバーチャレンジというものが回ってきた。
1日1回本を紹介するものなんだけど、せっかくのいい機会なので、森信三先生の「理想の小学教師」の本を読みなおした。
この本は1960年の森先生の講義をまとめた本。
逆に50年以上、学校文化が時代の変化に合わせながら続いてきたんだろと思うと、その時間の重みを感じる。

今年度は、今までの学校文化を見直さざるを得ない1年になるんだろうと思う。
とりあえず1学期の学校行事は8割なくなった。宿泊行事も中止、運動会はとりあえず延期。
参観日や家庭訪問もなし。委員会やクラブも分散登校のためできず。

アフターコロナの後の学校はどのように変わっていくのだろうか。
ただ、勉強を教える場にならないことを願う。



理想の小学教師像

理想の小学教師像

  • 作者: 森信三
  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2015/02/23
  • メディア: 単行本



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チーム学校についての個人的見解 [教育雑感]

「チーム学校」がいろんな所で言われている。
うちの学校でも来年度から、その取り組みをするみたい。

教科担任制、合同授業、交換授業・・・いろんな方法ができると思うのだけど、多分、方法論ではうまくいかない気がしている。

まずは、教師の意識改革から。


私は初任者の時、理科専科だったので、どのクラスの子どもにも関わることからスタートした。
慣れない理科専科で不安いっぱいの私を担任の先生方や指導教官の先生がずいぶんサポートしてくれた。理科の教材研究も一緒にしてもらったことを覚えている。

異動した年、荒れた学年を受け持った。
ものすごく力のある先生と組ませていただき、その先生が「学年で子どもを見る」という方針で、学年集会やら合同授業など、学年での取り組みをたくさんした。
荒れはすぐに収まり、とても充実した1年だった。
その先生は授業の達人で、よく授業を見せてもらったし、自分のクラスでも授業をしてもらった。
学年集会の指導も素晴らしく、子ども達を惹きつける指導を間近で学ばせていただいた。
音楽や運動会のダンスでは私も指導させていただき、自分の得意なことを任せてくれた。
「学年団で子どもを育てる」ことをやるうちに、子ども達はすっかり落ち着き、切磋琢磨しながら仲良くなった。学年末には、保護者も一緒に有志で横浜の蚕博物館へ行ったほどだった。
この1年が私のスタンダードになっている。


岡山に帰っての赴任先の学校は当時、結構大変だったのと、自分の力不足でうまくいかないことだらけだった。そんなとき、主任の先生がずいぶん支えてくれた。学年の指導を一手にしてくださり、本当に心強かった。


前任校は大規模校。集団を動かすノウハウは前任校で学んだ。
若手と組むことが多く、指導の足並みをそろえることを優先した。
中堅として、若手と主任の先生のパイプ役になることを心掛けた。
学級だよりを出すことをやめたのも前任校。
ここでも指導力のある方と学年団を組ませていただき、華麗なまでに集団をまとめ、高める指導を間近で学ばせていただいた。
それぞれの役割がはっきりしていて、「仲のいい学年団ですね」と保護者にも言われるほどだった。



そんな教師としてのライフヒストリーの中で、自然と「チームで子どもの指導にあたる」ということが身に付いてきたと思う。
正直、素晴らしい学級を作ることにあまり興味がない。(というか、そんな素晴らしい学級にできない僻みかもしれない^^)
それより、学年主任という立場も手伝って素晴らしい学年団を作ることに力を注いでる。


自分のクラスさえよければいい、ではだめだと思う。子ども達はそういうところをよく見ている。
子どもは「不公平感」を抱きやすい。
「隣のクラスはずるい」という不満が荒れにつながる場面にたびたび直面してきた。

どのクラスの子にも平等に声をかけ、指導する。
それがまわりまわって自分のクラスに還元されるというおまけもついてくる。
自分のクラスに安心感があり、満足できるようになると、自然と他のクラスのことを言わなくなるものだ。


一人で抱え込んで対応するのではなく、みんなで子どもを見れるようになると本当に心強い。
それぞれの先生の強みを生かした学年経営をすることこそ、やりがいを感じ、生き生きと仕事ができるのではないかと思う。
そして学年団で指導することを共通理解しておくことで、クレームや不満が格段にへる。
結果、余計な生徒指導で時間を取られなくて済む。


学級担任より学年担任。
「チーム学校」を成功させるには、その意識を教師がどれだけもてるかに尽きるのではないかと思う。


色々思い入れがありまして、熱く語ってしまいました^^;)

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あの頃・・・。 [教育雑感]

北海道の堀先生のFacebookから。
ご本人に一応、シェアのお願いをしたので、こちらにも掲載します。

この記事にすごく共感。
多分、私くらいの年代があの頃の古き良き時代を知る最後の世代なのかもしれません。
名物先生に怒られ、お母さん先生に励ましてもらい、保護者や子どもたちに助けてもらいながら育てていただきました。

今よりずっと寛容で多様性を認めていた気がします。

この15年くらいですごく変わってきたことを実感しています。
9時をすぎてもパソコンとにらめっこして文書をつくっているのってどうなんだろう。。。
もっと教材研究や子どもについての話をしたいものです。

以下、堀先生の記事です。
あの頃…。 あの頃と言っても、ほんの15年から20年ほど前のこと。 教組が労働条件のみならず、教育理念にも発言力をもっていた頃。 男性教師が怖れるほどに女性部の結束が固かった頃。 煙草部屋にいかつい顔の男たちが集まって生徒指導が伝承されていた頃。 若者に失敗が許され、母親たちが結束して若手担任を育てようという意識をもっていた頃。 現在(いま)とは比べ物にならないほどに教員同士の小さな呑み会が頻繁に行われていた頃。 教師は現在とは比べ物にならないほどに、教育理念を語り合い、子どもの姿を語り合うことを日常としていた。いま、だれもが公務PCに向かう職員室はとても静かだ。 雑談がない。 談笑がない。 必然的に、談笑から子どもの話に派生していく機会もなくなっていく。ファシリテーションを導入した研修を施さなければ、教育理念や子どもの姿を語り合うことさえなくなった教師たち。 失われた20年。 不景気にだれもかれもが不機嫌になり、他人のミスを許せなくなった。子どもの失敗さえ許せなくなりつつある。その空気を感じ取った政治や行政が学校を次々に縛りつける。 あの頃。 親分がいて、お局がいて、いじめや陰口や横暴さやだらしなさやいいかげんさも職員室にあったけれど、学校教育に大切な何かが確かに存在していたように思う。私たちはその大切な何かを失ってしまった。 それが何であったのか、この国は真剣に考える必要がある。
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なんでもかんでも学校で [教育雑感]

ヤフーニュースに採用試験で英語力を優遇という記事を見つけた。
うちの学校でも来年度、英語の授業があたっている。

うーん。。。


私が小学校の先生になったときは、そもそも「英語」を教えるという前提がないわけで。
ましてやプログラミングなんて。
時代は変わるというか、どんどん小学校に下りてくるというか、何でも小学校ですりゃいいと思っているというか(upset絵文字>_<)

子ども達に自ら考え判断を付け問題解決能力を付けるためにできた総合的な学習の時間。
教科の時間を削り、教科書の内容も削減した結果、「ゆとり」だと言われ、方向転換。
日本の学力が落ちているといえば、学力テストを行い、都道府県ごとに結果を公表され、点数を上げることに必死。
英語の導入、道徳の教科化、授業時間の増加。
授業時間で言えば、もともとは土曜日は学校だったのに、それを週休二日にして、結局足りないから増やそうという。
やれ、食育だ、情報モラルだ、金融教育だ、体力向上だ、早寝早起き朝ごはんだ・・・・

なくすことはしない、減ったものはない。
どんどんい増える一方。
小学校はすでに飽和状態。もはや、ゆとりはありません。

何でもかんでも「とりあえず学校で」という発想はどうなんだろう。
まぁ、これからの時代、英語は話せた方がいいのでしょうが・・・。
英語より中国語かも。
いや、やっぱりまずは正しい日本語から^^;)


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行動に着目する [教育雑感]

行動分析が分かりやすく書かれた本。

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書)

  • 作者: 奥田 健次
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/11/16
  • メディア: 新書




イラストでわかる ABA実践マニュアル: 発達障害の子のやる気を引き出す行動療法

イラストでわかる ABA実践マニュアル: 発達障害の子のやる気を引き出す行動療法

  • 作者: 藤坂 龍司
  • 出版社/メーカー: 合同出版
  • 発売日: 2015/10/15
  • メディア: 単行本




なかなか面白かった。
どうも内面とか原因とかを考えてしまうのだけど、行動分析は行動のみに着目するのでいたってシンプル。
もっと割り切って考えればいいと思った。

うちのクラスの男の子。
つい、できないことがあるとパニックになってしまう。
図書の時間に図書館に行こうとしてもなかなか気持ちが切り替えられずいけない。
他の子を図書館に連れて行き、その後その子を説得。

なぜパニックになったかは分かった。
だから気にしなくていいよとあれこれ言葉を変えて言ってみても聞き入れない。
だから余計に私もイライラしてくる。

私はとりあえず、彼を図書館に連れて行きたい。
ということで説得をやめ、とにかく教室を出る手立てを考えた。
「10歩でここまれこれるかな?」
今まで説得されてうんざりしていた彼だが、しばらくしてこちらに歩いてきた。
でもまた元の場所に帰っていった。
「じゃ、今度は7歩で来れる?」
と聞くと、今度は数を数えてやってきた。
それでも図書館に行こうとするのは嫌がるので、「図書館まで50歩で行こう」と言って
数えながらいった。図書館に行く頃にはすっかりご機嫌になっていた。
図書館にスムーズに行けたことをしっかりほめて強化。
帰りは少し渋ったけど、随分切り替えが早かった。

説得して無理矢理連れて行ってもこちらも相手も疲れるだけ。
「歩く」という行動に目を向けると、いろんなことがスムーズにいった。

今回の場合、違うことに興味が向くと気持ちが切り替わるという彼の特性がうまくいかせたかなと思う。

心は見えない。
行動は見える。
心が変われば行動が変わるというけど、行動が変われば心も変わる気がする。
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学校文化 [教育雑感]

新年度に向けてあれこれ計画を立てています。
そこで、出てきたのが、「〇〇っ子カーニバル」の廃止案。
行事の関係と、授業時数確保と学力向上の要請を受けての提案。

「〇〇っ子カーニバル」はそれぞれのクラスがお店を出して、それをみんなでまわって楽しむというもの。
子ども達はこの行事を毎年とても楽しみにしています。

あわただしい毎日なのはよく分かります。
行事を精選しないといけないのもよく分かります。
学力向上のため、学習時間をしっかり確保しないといけないのも分かります。

でもね。でもね。
こういう学校ならではの行事を減らしていくのは、個人的には寂しいです。
私が個人的に行事大好きだから、余計に減らされると寂しいと感じてしまいます。

もちろん頭ごなしに反対しているわけではありません。
廃止案がでた背景も十分理解できます。

学校はもちろん勉強するところ。
でも、学校はそれだけじゃない。
人との関わり方を学ぶところ。
いろいろな人と関わるきっかけを作るところ。

カーニバルのような行事って、学校ならではのもの。
確かに授業時間はとられ、どたばたと忙しいのはよくわかるんだけど、
そしてそういう時間は無駄なようにも思えるんだけど、
教師が無駄だと思う時間こそ、実は子どもにとって大事なこともあるのでは、と思います。
といいながら、日々せかしてばっかりなんだけど。

行事を減らして授業時間を増やしたからといって、学力が向上するとは限らない。
行事の中にこそ、大事なものがあるような気がしてならないのです。

・・・・うまく言えないけど。




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目配り・気配り [教育雑感]

自分のことばっかり考えていた20代前半。
ちょっと学年団のことが考えられるようになってきた20代後半から30代前半。
学校全体に視野を広げ、学校全体を動かすことを意識するようになった30代半ば。

これからはさらに目配り・気配りができるようになりたいと思う。
それにはいかに想像力を働かせることができるか。

まだまだ、自分のことばっかりになってしまっています。
むずかしいですねぇ・・・

今日は前任校で一緒だった人たちとおしゃべり。
いろんな話に花が咲きました。
自分が50歳になったとき、どんな先生になっているか考えさせられました。

自分のことしかしない50代。
指導力のない50代。
学校全体を見通してものを考えられない50代。
こんな50代にならないためにも、今からしっかり気づき力をあげたいなと思います。



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この国の行く末 [教育雑感]

35人学級を40人学級に戻すという財務省の提言。
35人学級にしてもいじめや不登校の改善に効果が上がらなかったとか。
また、機械的に試算すると1万8000人の教員を減らせるという。


あきれてものが言えない・・・


35人学級が実現できているからこそ、今の数字を保てているわけで。
これが40人学級なら、さらに結果が悪化するのは明らか。
加えて、発達障害の子どもの増加、家庭の価値観の多様化、社会の急激な変化。
学校を批判するくせに、学力保障・しつけなどすべて学校に押し付ける。
学校現場は社会に振り回されっぱなし。

そして多忙ゆえに心や体を壊す教員の増加。
これ以上、教員に負担をかけさせるのか。
学校はまさにブラック企業化されているように思う。


行きつくところは学校の民営化。
この話は15年くらい前から言われていたことだけど、それがますます現実味を帯びてきた感じ。
もちろん民間の教育団体の中にはすばらしいサービスを提供しているところがたくさんあると思うのだけど、本当にそれでいいのかと思う。

事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!!
机上の空論は本当にやめてほしい。
教育を軽んじる国の行く末は暗い。


                                                                                     





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学力テストって・・・ [教育雑感]

昨日は校内研究全体会。
1年生の先生が模擬授業をしてくださり、みんなで検討しました。
模擬授業をしてくださる先生は大変ですが、模擬授業形式で指導案の流れを検討するのはとても分かりやすくて面白いです。
今日もいろいろな視点からのご意見がたくさん出てとても勉強になりました。
授業の話はやっぱり楽しい!

そうなんです。
先生たちは頑張っているんです!
なのに全国学力状況調査の結果は・・・・38位(-_-;)

岡山の教員が決して劣っているわけではないです。
みなさん、本当に一生懸命されています。
じゃ、何で順位が低い?
テスト対策をしていないからなのか、日ごろの授業のやり方の問題か、はたまた別の問題か・・・。
ちなみに38位の岡山の正答率は63.5%。10位の群馬は66.5%
わずか3パーセント内に18県がひしめいているという状況。
問題数にすると、1,2問なんじゃないかと思います。
この差をわずかとみるか、大きいと見るか。

ちなみに、上位の県の中にはテスト対策で過去問をたくさん解いているところもあるそうです。
岡山は「晴れの国おかやま生き活きプラン」として、小中学校とも3年の内に10位以内という目標を掲げているようですが、今年度は残念な結果に終わりました。
特に中学校では過去最低順位だったこともあり、きっと教育委員会は学力テスト対策にさらに重点をおく気がします。もちろん、それが小学校にも下りてくる。

でもねぇ・・・・
いくら先生ががんばっていても、それを吸収しようという学び手の意欲がないと学力なんてつかないと思うのです。
「空欄を作らない、何か書きましょう。」
という指導をしなくてはいけないのは、難しい問題があるとあきらめてしまう子が多いから。
難しいけど、何とかして解いてみようという試行錯誤が見られないです。

学び手の意欲をどう意識づけるか、学習する必要感をどうもたせるか。
子どもをサポートする保護者の協力体制があるか。
学校という場が「学習の場」であるか、「遊びの場」とか「預かりの場」であるか。
その意識の違いが学力に大きく影響するのだと思います。
その意欲づくりはもちろん先生の大きな仕事ではあるのですが・・・。

都道府県の順位を公表して競争をあおっている感があるのはどうかと思いますが、それでもテストから見えてくるものは多いと思うので、テストをいかに活用して子ども達の力を伸ばすかが大事なのかな。

言うは易し、行うは難し。
論理的な思考力をしっかりつけつつ、楽しい授業を創るってなかなか難しいです。(´・ω・`)
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誰がわるい!? [教育雑感]

ちょっとまじめに教育のお話。

あるつぶやきに「すべて教師の責任」というような内容がありました。
確かにそうなんです。

目の前の子どもが悪いのは、教師の責任。
子どものせいにしてはいけない。

私もそう思って今まで自分のできることを精一杯やってきたのですが、最近、そう思えば思うほど、自分も子どもも追い詰めちゃうのではないかと思うのです。

先生のクラスは、言うことを聞かないと同僚に言われることもあれば、
自分の対応が悪いからダメだったと反省することもあれば、
先生のせいでうちの子は・・・と直接責められたこともある。

そのたびに、「自分のせいなんだ。」とか「私が悪いんだ」とか思いがち。
しかも、必死に子どものためにと思ってやっていることが、まったく子どものためになっておらず、むしろ害になっていたということもしばしばある。
熱血教師のおしつけ、みたいな。
子どもに寄り添ってやっているつもりなのに、寄り添えたと相手は感じていなかったら、これってば自分の力不足でしなかいんじゃないかとまた自己否定のスパイラル。
相手を責めるのはいやだなと思う。そうしていると、自分の成長がないから。


子どもはコントロールしようと思うほど、動かない。
そこに執着すればするほど、よくない。


一生懸命がんばるほど、だれかに認めてもらいたかったり、見返りをもとめたりしてしまいがちになる。
だって、責任をもって仕事をしたいもん。
がんばっていることは認めてほしいもん。



教師の精神疾患が増えているのって、直接、自己否定につながることが多いからなのではないかと思う。

先生のせいで、うちの子は・・・とか言われると、一生懸命やっている人ほどダメージを受けると思う。
先生なんて大嫌い、とか、くそばばあとか、子どもの暴言も真面目な人ほど受け止めやすい。
こんな状況ではもちろん心から楽しめない。


もっと力をぬいてと思うかもしれないけど、力(手)を抜くと、今よりもっと悪くなってしまうのではないかという怖れがある。
力を抜くことに対する罪悪感というか、努力することがすばらしいという観念か。

みかんせんせいは、まじめなんっすよ~~(笑)


もちろん責任をもって、仕事をするけれど、


「いかに面白くするか」「いかに楽しむか」でさまざまな困難なことは乗り越えられるかもしれない。間に受けてしまうからなぁ。私。

自分は受け止める懐の深さや視野の広さが足りないのかもしれない。
どこから見るかなんだと思う。

あまり、何事も思いつめず、さらりと笑い飛ばせるくらいになりたいもんです。まだまだちっちゃいわ~。

おっと、また「足りないもの」探しになってしまいそうなので、やめよう。


ということで、気楽にいきましょう、といいたかったのでした!



今日の江口洋介のドラマ、現場的には突っ込みどころ満載でした。
でもやけにリアルなところもあり、考えさせられました。
やっぱり学校もののドラマは苦手かも。
とかいいながら、多分、毎週見ると思うけど。

どこかに西島秀俊みたいな先生、いないかな
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